梨子ヶ平とは
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梨子ヶ平とは
日本海沿いに美しい海岸線がつづく越前海岸。海にせり出すように連なる山々。

冬には山の斜面一帯に、水仙の花が咲き誇ります。まるで花のじゅうたんのようで、越前がにと並ぶ、冬の風物詩です。また、この集落のもう一つの特産に福井梅があります。そして、この海岸にあるのが、玉川温泉と厨温泉。冬には水仙の切花体験、夏には梅のもぎ取り体験。
時にはゆったりと湯につかり、時には地元で水揚げされた越前がにに代表される新鮮な魚介類に舌鼓。
贅沢なときが過ごせます。

越前町の海岸線の最北部、福井市(越廼地区)に隣接し、越前岬のすぐ北側にある農家数15戸、人口約50人の小さな集落。
目の前には雄大な日本海、三方を山々に囲まれ、春にはうぐいすの声がこだまするまさに時を忘れる桃源郷。



梨子ヶ平の歴史について

地名のいわれ
  梨子ケ平は歴史と山紫水明の地として今に伝えられています。その昔、戦いに敗れた平家の落人が隠れ家として七ツの平らに別れて住んだことから梨子ケ平と名づけられ、現在も当寺の面影を忍ばせています。

七ツの平とは
、梨子ケ平(なしがだいら)・大平(おおじゃら)・小羽ヶ平(おばんじゃら)・雪ヶ平(ゆきがじゃら)・竹ヶ平 (たけがじゃら)・岩ヶ平(いわんじゃら)・坂ヶ平(さかんじゃら)。

平のことを今も「ジャラ」と呼んでいます。

祖先の暮らし
  時は徳川幕府、梨子ケ平は天下の直領「本保領」として栄え、滝本家は大庄屋を務めて梨子ケ平とともに発展を遂げてきました。
その頃七ツの平らの人が梨子ケ平に集まり、千枚田と言われる田圃を耕し自給自足の生活を送っていました。

当時は千枚を越える田圃が並び、野良仕事の一暇に置いた傘下にも一枚の田圃があったといわれ、先祖のひたむきな努力がうかがう事ができます。

城の傍を流れる川には昭和初期まで水車が五基あり、のどかなふる里の風景を見せていました。現在も残っている土蔵と上場の井戸は江戸初期に作られたものです。

昔のようす
  滝本家の離座敷の天井板は日露戦争時の、越前岬海軍望櫓の信号柱、家の基礎石は望櫓の石倉を使用しています。
昭和初期までは梨子ケ平の各家には土管埋式排水設備が出来ていました。
当時は城の前に伸びる街道だけが人々にとって唯一の往来の方法でした。そこにある欅の大木は時には旅人の休息場になり、またある時は馬牛の手綱を繋ぐ場としても重宝がられていました。
人口は現在と大きな変化はなく、越前水仙の発祥の地として私たちの心を和ませてくれます。そして風光明媚な土地と共に昔と変わらないのが何事にも一致団結し、平和な村を守ろうとする人々の温和な心です。

梨子ケ平城滝本美術館
 
梨子ケ平城滝本美術館は明治百年を記念して昭和五十二年四月に滝本 正氏が建立し、代代家に伝わる品や他から収集したものを展示。

城内展示品として、日本刀、槍、甲冑、書画、その他明治以前の品を、一階は当時の生活必需品が展示されています。

祖先を思う心と梨子ケ平住民の熱い呼びかけから実現した美術館です。
以上、滝本城石標より。石標には最後にこう書かれています。

・・・祖先の苦労に感謝し梨子ケ平の発展を願い北処に石標を建立します。石標 平成八年七月建立 施主 滝本 正・・・

と祖先をうやまう心が今にも受け継がれている。そんな地区であります。

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